(9)水野社長との出会い、そして3CCDに!    
 今までとは次元の違うといっても良いくらいの、画質の差に、私はしばらくのあいだ、M3Aのことで頭がいっぱいでした。
 なんとかして、M3Aが手に入らないものか?、どこかで、安く売りに出ていないものか?と、ビデオサロンの通販広告や売りたし買いたしの欄を、古い雑誌まで引っぱり出してチェックをはじめたのです。
 そしてある日、サロン特機に電話をいれたのです。1987年の暮れでした。
 その時初めて話しをしたのが、すでに故人となりました、水野源敬社長でした。
 別の、コーナーでも言いましたが、この時の水野さんの応対は今でも忘れられません。
 「今何をお使いですか?」と聞かれましたので、「BY-110です」というと、
「あ、お金いただいてもいらないですね。
とまで言ってのけたのです。まあ、下取りなどできませんよ、という意味だったのでしょう。そして、レンズの違いも含めて、M3Aの素晴しさを聞かされたあと、
「実はちょうど1台極上品があるのですが、いかがですか?」と言ったのです。
 私は値段が気になりましたので、「でもあまり高くては買えませんよ」というと、
「初めてのお取り引きです。お安くしときます。半値ではいかがですか?」
 「あ、いただきます。」というと、
「品物はすぐ送ります。ていねい運送の大和便です。代金は品物を確認してから、振り込んでいただければ結構です。」
   そして次の日の午後、M3Aがわが家に届いたのです。
 宅急便がこんなに速いものとは、その時初めてしりました。
 早速、組み立てて試写するとまさしく、この間見たM3Aの画でした。その時の嬉しさは今でも忘れられません。
 今度こそ、究極の高画質を手に入れたのだと実感したのです。
 ところが、数日してどうも調子がわるいのです。例の自動レジ合わせがうまく行かなくなってしまったのです。私は、
 「あれ、失敗したかな?やっぱり中古は駄目だったのかな?でもBY-110は3台とも中古で調子は良かったし、運が悪かったのかな?水野さんはどういうふうに対応してくれるだろうか?京都では遠いから、対応いかんでは、面倒だなー」と腐った気分で電話をしたのです。別に映らないわけでもなく、画がおかしい訳でもなく、時折、変なところでレジ合わせが終ってしまうのです。
 ですから気にしなければ使い続けられたのですが、90万円もの大金を振り込んでいますから、やはり一言クレームつけなければと、電話をしたのです。
 その時の水野社長の応対がその後、私の地元での水野ファンができるもとになったのです。
 「いやー、本当に申し訳ありませんでした。すぐに代替品をお送りしますので、東京のウヌマ電気さんに発送していただけませんか?代替品はDXC-3000という3CCDの新品をお送りしますので、修理完了後もしばらくお使いになっていただいて結構ですから、3管と3CCDの違いでも楽しんで下さい。」
 私はそのいさぎよい応対とサービスにびっくりして、本当に代替品を送ってくれるのかしら?と怪しんだほどでした。  
    (10)水野社長との出会い、3CCD(2)続き。