(2)始めの一歩 | ||
そのような事で、私が、ビデオの世界に足をふみいれて早17年、10年一昔といいますから、もう二昔?といったところでしょうか。 では何故、こんなにも映像の世界にはまってしまったのか? 結果だけみたら、まさに正気の沙汰とは思えない数々の事実、そこに、どんな必然性があったのか? 単なる、アホ(どだい趣味の世界なんてものは端から見ればそのように見られがちですが、、)だったのか? 齢(よわい)も半世紀をとうに過ぎて、なんでも総括したくなる今日この頃、記憶の薄れないうちに書き留めておくことにしました。f(^_*)?
(2) 始めの一歩1985年春(私が30代後半)、いきつけの中古品販売店(群馬県桐生市にあった、いわゆる質屋?みたいなところで、メインは時計やカメラ、宝飾品、そして楽器や当時としては最先端のビデオ機材など。)でビデオカメラとデッキを買いました。この頃は、ビデオが撮れるということだけで感動ものでしたが、カメラとポータブルデッキで20万円弱(定価では50万以上か?)であったと記憶しております。 カメラはナショナル製で、すっきりした肩載せデザインが気に入りました。オートフォーカス用の超音波の送信ユニットが右部ににょきっとくっついて、いかにもという感じでした。 デッキは三菱のポータブルというよりも、キャリアブルといった感じのもので、今のCDラジカセみたいなデザインでした。 |
でも一応この組み合わせでビデオ撮影と再生ができるのです。嬉しかったですね。 そしてそれまでは、テレビもRF入力しかなかったため、ビデオ入力のついた東芝の16インチを、やはり中古品で買いました。 当時はテレビはトランスレスがほとんどで、ビデオ入力をつけると、保安上電源トランスをつけなければならず、コストの関係で、かなり高級っぽいテレビでもビデオは2チャンネルで見るというのがあたりまえでした。 そして買ってきたその足で早速近くの河川敷公園に家族をつれて、撮影にでかけたのです。 撮影の仕方は販売店のおにいさんに教わりましたので、忘れないうちにと出かけたのです。勿論、取説もついていましたが、読むのがおっくうだったのです。 また、私の後輩で、特機の代理店をしているのがおりまして、いろいろな説明を飽きるほど聞かされていましたので、パンやチルトはゆっくり、画角のとりかた、水平に注意しろなど、一応頭には入ってました。 そして、撮影後わが家に帰って視聴したのです。 いやー感動しました。なんてことない家族の風景映像ですが、テレビで見られるのです。 その時はそれで十分満足いたしました。 また、当時はテープも大変高価で120分のVHSノーマルテープでも2000円以上したのです。ですから、わたしはその後半年のあいだ2本のテープしか使いませんでした。 いまでも最初撮ったまま保存してあります。 もっとも、半年間で撮った素材は夏の乗鞍岳ドライブと運動会、そして父を連れての日光の紅葉狩りドライブぐらいなものでしたから。 ところがその後、前述の後輩が遊びにきたのです。 | |
(3)そして二歩目へ続く。 |
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ナショナルVZ-C75オートフォーカス8倍電動ズーム 1/2インチビジコン単管式 タイトル機能あり 解像度400本以上(東芝TVで実測) |
三菱ファンタスシックス結構使いやすかった。 |