(11) 無謀な撮影?に挑戦 | ||
このようにして、VZC-75に始まったカメラ行脚は、GXS-11, BY110, M3-A, 3000,と約1年の間に急速な変貌を遂げていきました。 その変化は子供にもハッキリと感じさせ、画質の向上ぶりは驚きの一言でした。 そして、変則3カメ体制はその後ソニー最後の業務用スタンドアローンタイプカメラの名器DXC-M7が出現するまで約10カ月続きました。 このような、カメラの変遷にともない、記録するデッキや周辺機器もいろいろ変わっていきました。 最初の三菱のキャリアブルデッキにはじまりビクターのHR-2650になり、カメラが3管のBY-110に変わったころは、ハイバンドベータのHF-705,スーパーハイバンドのHF-3000、そしてEDベータが登場し、据え置き型のEDV-9000をEDV-50が発売されるまでは、ポータブル代わりにつかっておりました。
カメラの変遷同様デッキの変遷にもドラマはありました。 |
そして、スーパーハイバンドベータHF3000を使い始めた頃、ビクターでSVHSの発表があったのです。 正直、その時はS-VHSの高画質に驚き、またVHSに戻ろうかとさえ思いました。 しかし、ちょうどその頃の私は、ソニー家電部門の代理店にさせていただいたばかりだったのです。 まめに出入りするソニー営業マンの手前にも、ビクターやナショナルの新製品をおくわけにはゆきませんでした。 それで仕方なく、3000をウルトラスーパーハイバンド化?して、スーパーハイグレードのテープでしか録画再生できないくらいの改造を行い、ソニーの新製品を待ったのです。その間約数ヵ月間はソニー営業には文句の言いどうしでした。 そんな中、私はまたもや無謀ともいえる撮影に挑戦したのです。やりばの無いやけくそ気味の行動でした。 それは、ウルトラスーパーのHF3000のデッキとBY-110のセットでまたもや東京デイズニーランドの撮影に挑戦したのです。 今度は、ポータブルデッキではありませんから、手でさげて歩くなどできません。そこで、よくスーパーで使っているようなお買い物カートに、赤ちゃんを載せず、デッキとバッテリーとインバーターを積んで、入場を待ったのです。 以前にBY-110と2650の組み合わせの時でさへ大変な騒ぎ?でしたから、駄目でもともとというつもりでした。 そして長い行列が、自分の番に廻ってきた時、案の定のイエローフラッグが出てしまいました。私は赤ちゃんの代わりに積んである荷物なのだ?と苦しい言い訳をしてカートの通過をお願いしたのですが、だいたい入場口がカートなど通れないのです。 くるくる回る3本のバーが邪魔をして入れないのでした。 ところが、今回は幸運にも最初にお出ましの偉そうな係の方の裁量だけで、別の入口から入れさせていただけたのです。まさにラッキーでした。 当然、かみさんと娘2人は私から遠く離れて歩いておりましたが、やはり恥ずかしかったのでしょう。 | |
(12)EDベータの登場続き。 |